検事局で会いましょう


 身ひとつの競技は、はっきり言って得意だと王泥喜は自負している。だから、成歩堂の後ろ姿を見つける事など容易だった。
 飄々と歩いていく背中に呼びかけるれば、振り返る男の軽く上がった口角が王泥喜の気に触った。絶対何か企んでるに決まっている。
 進行方向の歩行者用信号機が赤になり、完全に脚を止めた成歩堂の横に並ぶ。
駅前に続く通り。街道と交わっている交差点は、そこそこ車の通りも多いから、信号を無視して駅に向かう事は不可能だ。
「どうしたの、王泥喜くん。」
「俺も行きます。」
 え〜。眉間に皺を寄せ、あからさまに嫌そうな顔をされて、王泥喜の角がピンと立ち上がる。ぼりぼりと頬を爪で引っ掻くと、成歩堂は視線をあらぬ方向に向けた。
「秘密任務があるんだよねぇ。」
「異議あり! 牙琉検事に会いにいくって聞きましたよ。」
「あっはっは。ばれたか、じゃあ仕方ないなぁ。」
 何が仕方ないんだと憤る王泥喜を尻目に、成歩堂はパーカーの前に差し込んでいた左腕を取りだした。満面の笑みがいかがわしい。
「追いかけっこといこうか? 僕が掴まったら本当の真実とやらを教えてあげるよ、王泥喜くん。」
「え?」
 ばっと成歩堂が腕を上げると、待ちかまえていたようにタクシーが止まった。
 呆気にとられた王泥喜の目の前で成歩堂を乗せたタクシーは視界から消えていく。遊ばれている。
 わかってはいたが、こうまで簡単にあしらわれるとは予想外の不覚。…というか、相手が悪すぎるのか。
 どうする、王泥喜法介。
 成歩堂が向かった場所はわからない。証拠がないから特定出来ない。だから成歩堂を追う事は出来ず、牙琉検事の居場所もわからない。

…違う、逆さから考えてみれば良いのだ。つまり探さなければいけない相手は成歩堂じゃない。
 王泥喜は、ズボンのポケットに突っ込んできた携帯電話を取り出すとコールした。これで繋がらなかったら万事休すだったが、5回呼び出したところで相手の声が出る。

『ああ。おデコ君、僕。』

 僕なんて人は知りません。普段の王泥喜ならばそう切り返すところだが、今は藁に
も縋る気分で呼びかけた。
「牙琉検事! 何処にいるんですか!?」
 時差がある。
『…おデコく、声大きすぎ。もうちょっと、小さくならないかなぁ。』
「そんな事より、何処にいるんです!」
 絶句したような、けれどのんびりとした応対に、王泥喜の焦りは増していく。相手の声が機械から出てくる間さえもどかしい。携帯を耳に押し当てたまま、無意味に辺りを走り廻って、いるはずのない姿を探す。
 やっと告げられた響也の答えは、此処から一駅先のホテルの名前。弁護士仲間などが、打ち合わせに良く使用する場所だ。幸いにも、王泥喜も何度か訪れた事がある。
 聞いた途端に王泥喜は走り出していた。たった一駅、このまま全力疾走した方が早い。
「そこ、動かないでくださいよ。」
 釘を刺すと、怪訝そうな声。
『おデコ君?』
「いいから、言うこと聞いて下さい!」
 流石にこれは怒鳴り声になっていると、王泥喜自身も自覚する。しかし、謝罪を口にする前に響也の言葉がそれを遮った。
『こっち来るの?』
「はい。」
『良かった、僕も逢いたかったんだ。あのさ、君に話したいことがあって…え、あれ?』
 先程までの様子と明らかに違う、狼狽えた声。近くで話し声がするのが聞こえるが、生憎と内容までは聞き取れない。自分の名前が、数回呼ばれた事だけは辛うじてわかった。
「牙琉けん…。」
『ちょ、待って、成歩堂さ…。』
 
 切った。いや、切られた。切りやがったあの親父。

 ブッツリと途絶えたのは牙琉検事との通話だけではない事を、王泥喜自身、へし折れそうな携帯と共に自覚した。


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